
5年前まではスタジオミュージシャンでした。現在は3つの事業を統括する取締役本部長をやっています
周囲からはよく華麗なる転身と冷やかされますが、私にとっては意外でも何でもなく、むしろ必然的な流れだとさえ思っています。35歳の時、自分が演奏した曲でミリオンセラーという目標を達成した時に、ぼんやりとですが、次の居場所を探そうと思ったのです。転機だったのかもしれません。それをはっきりと意識したのは、たまたまアルバイトで潜り込んだコールセンターでした。音楽の世界以外でまともに働いたことのない人間が、いきなりビジネス最前線に放りこまれたら、普通なら尻込みをするでしょう。しかし、私はビジネスの世界でもイケル!と直感しました。音楽業界で海千山千の人間を相手にしてきた中で磨いてきた「眼力」。ブレイクするために試行錯誤し、成功を引き寄せてきた「プロデュース力」。この2つを武器にすれば、35歳という遅い再スタートも逆転できると思いました。そんな覚悟で一心不乱に働き始めた私に、目をかけてくれたのが、当時の上司、幸本 大輔(現ジェネラルパシフィック代表取締役)でした。この出会いが、私の人生を大きく変えました。
ド派手なジャケットからダークスーツに着替えたら、見える景色も違ってくるから不思議です
私が飛び込んだのは、エンジニアリング企業の傘下にあるコールセンターでした。ここで統括管理者をしていた幸本の部下として、センター業務をゼロから学びました。勉強は好きではありませんでしたが、ここではスポンジが水を吸収するように知見を広め、数ヶ月後にはメールサポート部門のトップに立っていました。そして退職をする幸本の後釜に座った私は、新規コールセンター立上げや、複数のプロジェクトの統括管理に携わるなど多忙を極めました。仕事は大変でしたが、何もかも新鮮でした。ド派手なジャケットからダークスーツに着替えたら、見える景色も違ってくるから不思議です。結局、ここで6年間を過ごした後、ジェネラルパシフィックを設立した幸本に誘われて、人生の第2章をスタートさせました。
この仕事は、人の一生や企業の成長を左右する意義のあるものだと気づき、人生を賭ける覚悟をするほどのやりがいを感じるようになりました
私が最初に担当したのは、スタッフからの相談や各種トラブル対応の窓口でした。派遣スタッフも生身の人間なので、職場環境や人間関係のねじれによるストレスが原因となるようなトラブルはつきものです。またスタッフへの対応はもちろん、ときにはクライアントや労働局との社労士や弁護士をも交えた折衝や調整の毎日…。タフな現場でしたが、それはあくまで派遣スタッフの職場環境の向上と派遣先企業様の満足度の向上が目的だから、苦になりませんでした。ここを受け持たされた理由は、もちろん私の法律知識に賭けたからではなく、音楽業界にいたときに身につけた交渉力と、押しの強さを見込まれたからです。労務管理のほかに、各種行政手続き、個人情報保護管理、防災管理責任者、法務といった地味な間接業務をこなしていました。そして、会社の若手社員と飲みに行ったり、面接にやってくる自信なさげな若者たちを見たり、労務系、法務系の様々な交渉や調整を重ねるうちに、この仕事は、人の一生や企業の成長を左右する意義のあるものだと気づき、人生を賭ける覚悟をするほどのやりがいを感じるようになりました。やがて労務管理に関する法律を完全にマスターした頃、次なるステージが訪れました。
日々の積み重ねが「ここまで良くしてくれる派遣会社は始めて」と感謝される理由かもしれません
人材派遣事業、人材紹介事業、コンタクトセンター事業の3つの事業を統括する責任者になりました。ここで私は、持ち前の「眼力」と「プロデュース力」を、人材育成に活かしながら取り組んでします。たとえば、面接にやってくる人間のほとんどは、自分をよく見せるためにうわべを取り繕っています。そういうタイプの方とは、膝を詰めた熱い面談「傾聴」を行います。着飾ったモノを一枚一枚剥ぎ取って一旦素の姿を露わにすることで、潜在的な要素も含めた「面談者の棚卸し」を行います。ダメ出しを行って叩くことが目的ではないので、明確になった目標に向かって、どのような道のりを進んでいくかを一緒に考えます。また反対にポテンシャルを持っているのに、上手く自分をアピールできない人間には、時間をかけて能力を見極めた上で、最適な派遣先へ送り出しています。こうした日々の積み重ねが、登録者の8割に「ここまで良くしてくれる派遣会社は始めて」と感謝される理由かもしれません。最後に、迷えるIT技術者に「ワンチャンスをモノにするために、常に進化しろ!足を止めるな!」というメッセージを送ります。もちろん私も進化し続けます。
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