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コールセンター担当者の声

観客の"生の反応"が忘れられなかった

高校時代は原宿のホコテンで、パフォーマンス活動に熱中していました。あの竹の子族が一世を風靡していた時代です。卒業後は小さな芸能プロダクションに所属して、忍者のパフォーマンスグループの一員として活動していました。そして25歳の時、パフォーマンス人生の集大成として、海外公演を決行したのを最後にきっぱりと引退。ちなみに海外で忍者は、「NINJA」として超有名で、公演は大いに受けました。引退直後は、運転手をして生計を立てていました。しかし将来のことを考え、何か一生できる仕事はないものかと悩んだ結果、コールセンターのオペレーターに就きました。観客の"生の反応"が忘れられなかったので、やはり"生の反応"が得られるオペレーターを選びました。ただしコールセンターで得られる反応は、"賞賛"より"苦情"が多いのが難点でした。こうして不惑を前にして、人生の再スタートを切りました。

天職とも思える職業に出会えたことはラッキーだったと思います

私がオペレーターとして入社したコールセンターは、ソフトウェア製品を扱っていました。むろんITに関する知識があるはずはなく、製品に関する知識をゼロから学びました。そのほか電話対応など習得することは、山ほどありましたが、オペレーターとして、顧客とコミュニケーションできるのが楽しみでした。受話器の向こうで顧客が発する「困惑」や「動揺」といった息遣いをすばやく感じ取り、それを喜びや感謝の声に変えることにやりがいを見出しました。タレント時代に養われた"勘"や"機転"が、役に立ったのかもしれません。就任後わずか半年で、スーパーバイザーに昇格することができました。タレント活動を続けていても成功したかどうかは分かりませんが、天職とも思える職業に出会えたことはラッキーだったと思います。

計8年間、一貫してコールセンターの業務に携わり続けました

その後、最初の会社で5年間、次に入った会社で3年間の計8年間、一貫してコールセンターの業務に携わり続けました。この間の経験を通じて、コールセンターの構築、運営、品質管理全般に精通してきており、プロとしての自負がございます。2008年2月、弊社代表の幸本に誘われる形で、ジェネラルパシフィックに入社しました。実は幸本は私にとって、新人オペレーター時代からの上司であり、頼りになる相談相手でもありました。多分、幸本も女性の多いオペレーターの中で働く私のことを、キャリアも含め変わったヤツだと思いながら見ていてくれたのでしょう。とにかくセンター運営に関わることはもちろん、プライベートなことまで、いろいろ面倒を見てくれました。自身のキャリアにとって、幸本との出会いがとても大きかったと思っています。ジェネラルパシフィックに入社した私は、当然のごとくコールセンター事業部に配属され、スーパーバイザーとして活動を始めました。

毎日必ず現場に入って、オペレーターの声や表情を見たり、データから受付件数の減り具合などの異変を感じたら、必ず声をかけて悩みを聞くように心がけています

ジェネラルパシフィックのコールセンターの特徴は、立ち上げの早さとマルチ対応にあります。案件によっては、最短1日で稼働させることが可能です。マルチ対応とは、1人のオペレーターが同時に数社を受け持つ業務で、たとえば、商品受注(インバウンド)を行った後、すぐに違う会社のアンケート調査(アウトバウンド)を行います。一見すると、ミスが続出しそうですが、しっかりとしたカリキュラムに基づいた研修が、正確な業務を支えています。また、私自身がオペレーター出身ということもあり、この業務の"やりがい"も"大変さ"も熟知しています。ですから、毎日必ず現場に入って、オペレーターの声や表情を見たり、データから受付件数の減り具合などの異変を感じたら、必ず声をかけて悩みを聞くように心がけています。このように、しっかりとフォローしていますので、高品質なサービスとオペレーターの高い定着率を保持できています。将来の夢は、センターの規模を大きくして、ビッグプロジェクトを手がけることです。

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